『黒先輩と黒屋敷の闇に迷わない』
『黒先輩と黒屋敷の闇に迷わない』というフリーゲームをやりました!!
内容は、黒髪黒目黒タイツの美女と主人公が不気味な屋敷に閉じ込められてしまうというよくあるパターン。
でも、年頃の男女を閉じ込めたら…起きることは一つだよねェ。
探索少なめホラー要素少なめなセクハラゲーム!!
セクハラのホラー風探索添えみたいな。
イイネ!!
エロスと恋愛と偏愛が入り混じっていていいね!!
私の大好物だ!!
あの若干のヤンデレ要素?みたいのもすごくいい!!
何をしても受け止めてくれる先輩の包容力!!
最後の方に見せる表情!!
そして、あのムチムチなカラダ!!
…ッ…フゥ…すばらしいゲームだった。
私も黒先輩のような先輩欲しいなァ…いやまぁ私の先輩は全て男ですが。
過去の私と現在の私
過去に自分で書いた記事を見てみると、顔からプロミネンスがでそうだった。
過去の私はエセ方言を使ったり敬語を使ったり。まさしく厨ニ病であったなと思っている。
だからといって現在の私が変わったのかといえば、別段そういう訳でもない。
前も今も格好付けで、Cool系男子になりたがってて、イケメンじゃないのに冷たい奴って最悪じゃないかと思ってて、外見にコンプレックスがあって、中身のことは考えないようにしていて…
前も今も同様に性根の腐った阿呆である。
そんな阿呆も、将来の進路を考えねばならなくなってきた。
性根の腐った阿呆は「心理学・宗教学・哲学」に興味を持った。
昔から人間の感情の由来とか、人間を誰が作ったかとか、そもそも生物はどうして進化しただとか妄想するのが好きだった。
人間が人を好きになる。これは生殖行動のためのもの。つまり、人間の恋愛感情とは発情の延長線かと思ったりした。
私はなんだかんだで人間の中身が好きなのである。
だからといって理系に進むつもりはないが。
宗教学は昔厨ニ病をこじらせたせいで色々と考えた。
神話の神々を覚えたり、神話を解釈したりした。
神が人を作る→ノアの方舟話では神ははびこったゴミ(人)を一掃した→それは神が人を作るという失敗を犯したから→神は万能ではない
などと否定的な考えをよくした覚えがある。
哲学はこれらを総合した。
ありとあらゆることについて突き詰め、自分の考えをもつ。
そんな哲学にはあこがれがあった。
例えば、神様はいるかと問われたら、私は居ると答える。
なぜなら、神様が居ないという証明はできないのだから。
居ない証明は出来ないが、いつか神様を認識できるようになってしまったら、それは神様が居るということの証明になる。
つまり、神様が居ないという証明は、神とは認識できないものだといってしまえばとても困難なものになる。
テーブルの上にりんごはあるか?見えていないからない。
では、りんごは見えないものだとしよう。
テーブルの上にりんごはあるか?見えないものだからどちらともいえない。
こういうことである。でも、人間はいつか認識できないものを認識できるようになるかもしれない。
そしたら、これまで認識できなかったものは居ることになる。
そのときに後ろ指をさされないように、私は神様は居ると答える。
そもそも、居ないと考えて救いを自らなくすよりも、居ると考えた方が救いがあるだろうが。
神がいない→救いがない。居ると分かったら救いがある。
神が居る→救いがある。居るとわかっても救いがある。
こういうことである。
そんなわけで、阿呆はどれかの道に進もうとしている。
どれもこれも奇人変人の魔窟だが、私自身阿呆なのだから問題はない。
そういえばこんなものもあったなと
そういえばあったなと思った。
どうせあまり更新しないけど、久しぶりに書いてみる。
もう一年くらい放置しないな…